赤い風船と阿佐ヶ谷神明宮
一人目の子供を産んだ頃に住んでいたのが阿佐ヶ谷だった。
当時、 夫が忙しくいわゆる 「ワンオペ」状態になり、なれない育児、寝不足、産後の不安定な体と日々戦っていた。住んでいた家はメゾネットのアパートでなかなか面白い造りだったが環境が良くなかった。
とにかく湿気がすごい。
車も入れない密集した住宅地なうえに外周を暗渠がめぐる。
庭に見たこともないキノコが生えてきたり、 クローゼットの中が真っ白にカビたりした。
更に隣人は定期的に爆音のパーティーを催し、なんとも陰鬱な気持ちに陥ることが多かった。
夜な夜な泣き続ける赤子をあやしながら、共に涙を流したのは一度や二度でない。
そんな中での一番の気晴らしは散歩だった。
昼でも薄暗い我が家から抜け出して、陽の光を浴びると非常に気持ちが清々する。
娘もご機嫌だし、疲れたら良く寝てくれるしいいこと尽くめ。
公園は大小たくさんあり充実していたが、一番のお気に入りは近所の阿佐ヶ谷神明宮だった。
街中の神社には珍しく広々と明るい場所で、清浄な空気が暗くなった心を癒してくれるようだった。
骨董市や能舞台でのイベントなど市井に開けた神社で、小さな子が駆けまわったり、転げたり、お弁当を広げたり、そんなことも許される雰囲気があった。
娘が一歳を過ぎた秋のころ、駅前で買い物をし、神社に寄って家に帰るといういつものルートをたどっていた。
赤い風船をもらって大はしゃぎだった娘はまだ不安定な足取りで、境内を駆け回る。
私は転びやしないか風船が飛んでいってしまわないかとハラハラしながらも、ふと立ち止まる。
柔らかな陽ざしの中、真っ赤に揺れる風船が娘の喜びを表わしているようで、こんなに愛らしい風景があるのかと思い写真を撮った。
その後母の知人の画家がこれを描き贈ってくれた。今も壁に飾るこの絵を見ると、阿佐ヶ谷でのつらく、かつ幸せな日々を思い出す。
中村梢子(なかむらしょうこ)
ライター。建築士。元和風建築現場監督。建築より
もプリキュアとシンカリオンの知識蓄積中。
画 くぼたつぎお「赤い風船」
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