父と娘のサボタージュ
杉並区内で降り立ったことのない駅へ行ってみようと思い、西永福を訪れた。
駅から商店街を抜け、和田堀公園へ向かって歩く。
和田堀公園は西永福と高円寺のちょうど間くらいに位置するため、もしかしたら幼少期に連れてきてもらったことがあるかもしれず、訪れてみて昔の記憶が思い起こされたらいいなという期待もあった。
ぼんやりとした記憶なのだが、十五、六歳の頃にわざわざ学校をさぼって父と公園へ行ったことがある。
何か特別な理由があった訳ではないが、学校や習い事や友人関係など小さな悩みが積もっている時期で、そんな娘の様子を薄っすらと察した父が自然の多い場所へ連れて行こうと考えたのだと思う。
父と娘は特に何を話すでもなく公園内を散策し、ひと時だけ幼少期に戻ったような不思議な時間を過ごしたことを覚えている。
和田堀公園に到着し広大な敷地面積に圧倒されつつ一周したのち、結局父と訪れた公園ではなさそうだと肌で感じた。
自販機でジュースを買い、競技場で練習する野球少年たちの様子をフェンス越しに眺めていると、自分は一体何者なのか分からなくなってくる。
わたしと同世代の二十代後半女性の大半は、平日の夕方にこんな自由気ままな過ごし方はしないだろう。
それはまるで学校をさぼったかつての自分の姿と重なるようだった。
ゴリラのおっちゃん
昔、通っていた小学校の近くに「ゴリラのおっちゃん」と呼ばれるおじいさんがいた。
最初にゴリラのおっちゃんと呼び始めたのは誰なのか知らないが、通り掛かる小学生にゴリラの真似をして胸を叩きながら近づいてくることから、そう呼ばれていた。
築年数の古いアパートの二階に奥さんと住んでいて、錆びて劣化した外階段を小学生が上ってこないように「ここから先は神様しか通れません」という立て札を置いていた。とにかく不思議な人で、地域の小学生の間ではちょっとした有名人だった。
登下校中におっちゃんを見つければ、小学生たちは皆すぐに声を掛け、ゴリラに変身したおっちゃんと追いかけっこをしたり、腕にぶら下がったりした。学年が上がるにつれ、おっちゃんに興味を示す人はだんだんと減っていった。
低学年の子たちは遊んでもらっていたのかもしれないが、友達同士で遊ぶほうがずっと楽しくなったのだ。
下校の時間も遅くなり、おっちゃんと出くわす機会も減った。
高校生になったある日、近所を散歩していると、おっちゃんの住んでいたアパートがいつの間にか更地になっていた。家に帰ってから、母に何気なく尋ねた。
「ゴリラのおっちゃんって引っ越したの?」母は目を丸くして、「だいぶ前に亡くなったのよ」と言った。そういえば最後におっちゃんを見かけたのは数年前、坂道の途中で電柱に片手をついて立ち止まる後ろ姿だった。
そこに力強いゴリラの面影はなかった。散々遊んでもらったのに、長い間おっちゃんを思い出さなかったことを悔やんだ。
大人になった今、かつての通学路を歩くと、曲がり角や電柱の陰からのっそりとゴリラのおっちゃんが現れるような気がしてくる。
その度、自分の記憶の深いところにおっちゃんがたしかに存在するということを強く感じるのだ。
やっぱり踊りはやめられぬ
高円寺というと、真っ先に阿波踊りを思い浮かべる人が多いだろう。
わたしも五歳から現在に至るまで、地元 ・高円寺の連 ( 「連」というのは阿波踊りグループの呼称)に所属し踊っている。
高円寺阿波踊りは毎年八月末の土日に開催されるため、夏に活発なイメージがあるかもしれないが、演者は通年で稽古を重ねている。
わたしが阿波踊りを始めたのは、親による半ば強引なものだった。
控え目な子供だったわたしは阿波踊りに対するやる気が無く、当然踊りは下手くそで、さらに同年代の中でも身体が大きかったため子供特有の可愛げもなかった。
ただ、一度やると決めたことはしぶとく続ける性格で、 受験や就職といった人生のステップの変化に伴い踊りを辞めていく人も多い中、いつの間にか阿波踊りは自分の日常に溶け込んでいった。
最初は不得手なことでも、継続すればそれなりに上達するというのは、 わたしの人生において大きな自信になっている。
コロナ禍のため二〇二〇年、 二〇二 一年と二年続けて阿波踊りは中止となり、 高円寺には夏が来なかったように感じる。
緊急事態宣言明けに再開した稽古で久しぶりにお囃子と合わせて踊った高揚感は眠っていた身体を目覚めさせるようだった。
来る夏、観客の前で踊ったらどんなに嬉しく楽しいことだろう。
そして本番を終えたらとびきり美味しいビールを飲むのだ。
わたしにとっての桜桃の味
わたしは本が好きだ。
そして書店で本を買うことが好きだ。
西荻窪にある今野書店を初めて訪れたとき、休日ということもあり近所に住まう馴染み客であろう人々でにぎわっていた。
おばあちゃんに手を引かれた子供が絵本を買ってもらっていて、店員さんがにこやかに話しかけている。
会話が生まれる書店って良いな、美しい光景を見たなと純粋に思った。
先日、アッバス・キアロスタミ監督の映画「桜桃の味」をリバイバル上映で観た。
この映画のストーリーは、自死を考えている男が日常の何気ない風景の美しさに改めて胸を打たれ、生の尊さを感じるというものなのだが、今野書店での光景はわたしにとって「桜桃の味」を彷彿させ、同時に昔の幸福な記憶を思い起こさせた。
わたしは幼少期、おもちゃはあまり買ってもらえなかったのだが本は快く買ってもらえた。
だから、両親や祖父母に書店に連れて行ってもらえると嬉しかった。
その喜びが体感として残っているからか、書店でインクの匂いを嗅ぐと幸せな気持ちがこみ上げる。
書店は本=ストーリーを売る場所であるが、そこでもまたストーリーが生まれている。
今野書店は人々の何気ない営みを物語にしてくれる場所であった。
夫へのお土産
杉並区内の井の頭線エリアは降り立った事がない駅ばかりで、開拓も兼ねて浜田山で下車した。
駅を出てすぐ目に入るスーパーが「成城石井」だったため、浜田山に対して漠然と抱いていた高級住宅街というイメージが確たるものになり圧倒されたが、少し歩いた先に「西友」を見つけて安心した。
実家に住んでいた頃はずっと同じ町で生きていくような気がしていたが、賃貸暮らしの今は新しい街を訪れると、そこでの暮らしを想像しながら歩いてしまう。
線路沿いに「函館 美鈴珈琲」という珈琲屋が目に入り、夫へのお土産も兼ねて珈琲豆を買って帰ることにする。
夫は常に物欲が無いようなのと、我が家が必要最低限の物しか持たない暮らしをしているため、誕生日やクリスマスでさえ夫に何を贈ればいいのか悩んでいたが、珈琲豆が最適だとようやく気が付いた。
毎日自宅で四、五杯は飲んでいて、コーヒーメーカーで入れたりハンドドリップしたりと使い分けをしているようだが、買ってくるのはいずれも挽いていない状態の珈琲豆だ。
美鈴珈琲はオーダーしてから生豆を焙煎するスタイルで、機械の中で豆が弾ける音としだいに漂ってくる香ばしい匂いに癒される。
わたしは珈琲を飲まないが、珈琲の香りや豆を挽くときの音、それぞれの豆の特徴を文字で見ながら味を想像することが好きなので、夫へのお土産を口実に今後も珈琲を買い続けるだろう。

中神円(なかがみえん)
高円寺出身の俳優・映画監督
中神円出演作品:映画「空の瞳とカタツムリ」 ビッケブランカ MV 「ウララ」
写真/蓮井元彦