第一回『ルーシー・イ ン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ』
年が明けた。ハッピーなニューイヤーのムードに包まれて俺はハッピー。
街は地方への帰省でガラガラになるし、個人経営の店舗は閉店になる。
昼からアルコールを飲みはじめても、祝祭のムードがそれを許してくれる気がするし、なにより正月の空は高い。
通りが閑散としているから空間の広がりを感じて、それが空を高く見せているのか、それともこの日だけ、光に特別な成分が配合されているのか、単なる俺の錯覚なのか。
まあ、錯覚なんだろうけど。
でも、いい錯覚の場合はすすんで騙されたい。
俺はいつもよりも長い散歩をする。
西荻窪駅から青梅街道にぶつかるまで北上して、荻窪方面に歩いていく。
途中、初詣で井草八幡に向かうであろう家族連れやカップルとすれ違う。
気合の入ったラーメン屋が元旦から営業をしている。
俺はファミリーマートでキリンラガーを買って桃井原っぱ公園へ向かう。
せいせいするぐらい何もない原っぱ公園で子どもたちはボールを蹴ったり、走り回ったりしている。
凧揚げをしているレトロなキッズもいる。
俺が鼻を垂らしながら凧揚げをしていたときから凧は進化しているのだろうか?
ベンチに腰かけて、俺は空を泳ぐ凧を見る。
ぼんやり空を眺めていると犬が吠えているのが聞こえた。
胴の長い小型犬と、スリムな黒い犬が喧嘩をしている。
その近くで「あ!」という声 が上がった。
上空に制御不能の凧が舞っている。
犬の声に驚いた男の子が手を放してしまったのだろう。
凧は十メートルぐらい先で落下した。
リフティングをしていた少年がそれを拾って男の子に手渡す。
凧を受け取った男の子に、みんなが微笑みかける。
ぶっ飛ばされたルーシー。
ハレルヤって感じだ。俺は男の子に「ロックンローラーになれよ」とテレパシーを送って公園を後にする。
さあ、家に帰ってタンジェリンと餅を食べよう。
第二回『ストリート・ファイティング・マン』
多分、大学生。
そのぐらいの年代にみえる女性二人組が俺の進行を妨げている。
神明通りを西荻窪駅方面へのらりくらり。俺は何度か加速して二人を追い抜こうとするけれど、進行上にはコンビニに納品するトラックが駐車していたり、車や自転車が絶妙なタイミングで通過したりしてうまくいかない。
それにギターを背負った俺はマリオカートのドンキーコング並に初速が鈍い。
亀の甲羅をぶつけるわけにいかないし、バナナの皮も手元にない俺は、二人を追走する形になった。
「最近飲みに行ってる?」「お金ないから外で飲むときだけしか参加していない」「わかる。飲み会は行きたいけど飲み屋だとちょっとね」「そう、路上飲みのときは行ってるけど……」二人の会話を聞いてびっくりした。
彼女たちにとってはどうやら外飲み( 路上飲み)はデフォルトらしい。
俺は自分の過去を思い出す。俺も散々路上で飲んだ。
金が無かったというのが一番の要因だけど、朝までやってる居酒屋が見つからない、とか、外の気候がいいから、というのが主な理由で、デフォルトというわけではなかった。
それに、当時路上で飲酒をしている連中というのは底辺バンドマンや、役者見習いや、詩人くずれと相場が決まっていて、目の前を歩く二人のようにコンサヴァーティブな雰囲気をまとった子はいなかったように思う。
一九六八年、ミック・ジャガーは「ヘイ 俺の名前は邪魔者だ」と歌った。
ベトナム戦争への抗議のために路上で戦う若者を歌った曲なんだけど、二十七年経ってジャガーは「今の時代に共鳴する歌とは思えないし、そんなに好きな歌でもない」とコメントしている。
それからさらに二十七年が経って杉並区の神明通りを歩いている俺は思う。
「今の時代に共鳴しているし、好きな歌だ」と。
二人は牛のように遅い俺を引き離して左折していった。
見上げると青空。鳥みたいな形をした雲が流れていく。
春だね。
第三回『サブテレニアン・ホームシック・ブルース』
東京は駅単位で文化が異なる。
総武線西側においてそれは顕著で、荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺、中野とたいした距離じゃないのに、一駅違うだけで街が持つムードやカラーがけっこう変わる。長く杉並に住んでいると、異口同音的にそんな声が聞こえてくる。
まあ、よそから見たら、レスポールの種類ぐらいの差(カスタム?スペシャル?ジュニア?うーんわからん。
けど、所有者にとってはけっこうな差)しかないのかもしれないけどね。
俺自身も阿佐ヶ谷を歩いているときは阿佐ヶ谷の顏になっている気がするし、高円寺を歩いているときは高円寺の顏になっていると思う。
それってどんな顔だよ?と聞かれたら答えるのは難しいけど……。
ブリット・ポップで例えるなら阿佐ヶ谷はブラーで、高円寺はオアシスな感じ。
ドレスアップした阿佐ヶ谷に、剥き出しの高円寺。
つまりどっちも最高だ。……(もう一度言います)つまりどっちも最高だ!
バンド練習を終えてスタジオを出る。
ここは阿佐ヶ谷と荻窪の中間地点。どちらの文化圏からも離れた中立地帯だ。
頭をZero にして俺たちはダラダラと日大二高通りを歩く。
「日大二高通りってことはさ、この通りのどこかに日大二高があるのかな?」「さあ」「日大一高もあるのかな?」「さあ」いつか調べようと思うんだけど、結局忘れてしまうんだろうな。
飲み干したマウンテンデューを空き缶入れに捨てる。
「マウンテンデューってどういう意味?デュー山って山があるわけ?」「さあ」メンバーと別れて西荻窪駅の改札を出る。
多分俺は今、リラックスした表情で歩いているだろう。
古い曲が頭の中で流れ出す。「指導者に従うな、パーキング・メーターから目を離すな」暗いけれど視界良好。
俺は帰ってきた。
時計を見ると今日が昨日に変わっている。
うん、まだ夜は冷えるね。
第四回『サンデー・モーニング』
日曜日の朝はスロウだ。
降る光も時間もスロウ。
そんなできたての朝の中、いつもより丁寧にコーヒーを淹れて、いつもよりゆっくりコーヒーを飲む。
バスタブにお湯を張っていつもより長く湯につかる。スマホを放り投げて、レコードプレーヤーで音楽を聴く。
そんなちょっとのスロウが贅沢を生む。水がいつもより美味く感じる。
こんな朝は税金を払ってやってもいいかーという気分になる(いや、普通に払えよ)。
日曜日の朝、道は空いているし、車もほとんど走っていない。いつも歩く道が広く感じるだけで、幸福の目盛りが一段階上がる気がする。
こけし屋の朝市は、日曜の朝の風物詩だった。
昭和二十四年創業の老舗洋食屋こけし屋は、毎月第二日曜日に朝市を行っていて、朝市の日にはグルメ好きの近隣住民で大賑わいになったものだ。
こけし屋は今年の三月に(一旦)幕を下ろし、現在はロープが張られている。
当たり前の景色が消えてしまったとき、慣れるのには時間がかかる。
こけし屋の前を通るたびに、「そうだ、こけし屋閉店したんだ……」と思ってしまう。
こけし屋のない西荻窪は抜け殻のようだ。午前が終わって日曜日の魔法が失っていく。
街に人が増え、車が行き交い始める。俺は避難するように行きつけの居酒屋に入って瓶ビールを注文する。
「こけし屋のミルフィーユ覚えてる? 苺が入ってない素朴なパイって感じのやつ」女将はそれを無視して「蕎麦食べる?」と訊く。
「手打ちなんだけど」「……食べる」俺は千枚の葉っぱと呼ぶには頼りないこけし屋のミルフィーユを思い浮かべる。
「また食べたいなあ」女将は一瞬俺のほうを見る。
そして頷き、厨房に引っ込んでいった。
第五回『ハートに火をつけて』
目薬を使い切った。
俺にとって目薬は三大使い切るのがむずかしいアイテムの一つで、残りの二つ「リップクリーム」と「ピンクペッパー」は未だに使い切ったことがない。
目薬買いにいかんとなー。
出不精の俺はどうしても気が乗らない。
昼までダラダラと野球関連のユーチューブ(具体的にいうと『里崎チャンネル』)を観て時間を空費させる。
そういえばティッシュも買わないとだな。あとは麺つゆとか。昼も何か食わないとだし……。
自分が外出している姿が像を結び出し、俺は支度を始める。
玄関のドアを開けてスーパー(具体的にいうとサミット)を目指す。
ドラッグストア(ココカラファイン)で目薬を買い、サミットで目当てのものを買うと、ふいに『納屋を焼く』が読みたくなった。
若い頃に読んだことがある作品だけど、どんなあらすじだったっけ、と急に気になりだしたのである。
俺はスーパーの向かいにある本屋(ねこの手書店)で『納屋を焼く』が入った村上春樹の短編集を探した。
短編集は見つからなかった。ハートに火がついちゃった俺は、西荻の古本屋を探し歩いた。
でも、『納屋を焼く』は発見できなかった。俺は吉祥寺まで足を伸ばすことを決め、JRの改札をくぐった。
マジかよ、吉祥寺でも結果は同じ。短編は見つけられず、俺はボックスティッシュをぶら下げながらサンロードの天井越しに空を見上げた。
「カモン・ベイビー・ライト・マイ・ファイア」脳内で歌唱した俺は、決心して荻窪に向かった。
そびえ立つブックオフに息を吸い込んで入場。目当ての本に向かって前進。
「へえ、村上春樹かー、読んでみてもいいかなー」という風情で『納屋を焼く』を探す。横目で、いわゆる視野見で、上から順番に本を見ていく。
……うん、ない。なかったね。
「阿佐ヶ谷まで行くぅ?」尻に火がついちゃってる状態の俺は俺に訊いた。
そして、眩しすぎる梅雨明けの空を見上げて、目薬をさした。
第六回『アー・ユー・エクスペリエンスト?』
新宿から西荻窪まで歩いたことがある。
数年前、仕事を辞めた俺は失業保険をもらうために月に二回、新宿のハローワークに通っていた。
時間はあるけれど金の無い俺は、切実に電車賃が惜しかった。
新宿エルタワーを出てマップアプリを立ち上げた俺は、新宿から自宅への経路を導き出す。距離は九キロ強、徒歩で二時間十分。
なるほど。歩けない距離ではないんだな。
「ん?」俺は、マップを眺めていて、あることに気づく。
なかなかの距離なわりに経路がほとんど真っ直ぐなのだ。自宅に着くまでに一度の左折しかない。
歩いてみたいかも……。
多分、好奇心。あるいは実験。
俺は二時間かけて新宿から自宅まで歩いて帰った。大量の缶ビールを消費して。
電車賃は浮かなかった。むしろ余分に金がかかった。そんな体験。
卵をとじるのにハマったことがある。豚カツ、メンチカツ、コロッケ、チキンナゲット……。
麺つゆと卵があればどんなものでもとじることができる。
思いつく食材は、おそらくどこかのタイミングでだれかがとじてきただろう。
食材はとじられ、米と一体化してきただろう。
多分、好奇心。あるいは実験の精神によって。
ジミ・ヘンドリックスは「マシン・ガン」で機関銃の音や、兵士の悲鳴を再現しようとした。
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロはギターの弦を手でこすってDJのスクラッチ音を出した。
多分、好奇心。あるいは実験の精神によって。
俺はこの原稿を段ボールに囲まれた空っぽの部屋で書いている。明日引っ越しなのだ。
とりとめのないことを書いているのはそのせいだ(ホントか?)。
頭の中のヘンドリックスが問う。
「経験してきたかい?」と。
俺はちっぽけでつまらない世界で証明しなければならないだろう。
いつかステージでエレクトリック・ギターを卵でとじてみせるだろう。
多分、好奇心。あるいは実験。
そして経験、体験、妄想、爆発、西荻窪、深夜三時。

我妻許史 ( わがつまもとし )
ライター。パティ・スミスに影響を受けて文章を書き始める。杉並歴二十二年。