ただ足るを知るおしゃれはあるのか?
夏の暑さにはマジで堪える。
気温が体温を超えるなんぞ、とてもじゃないが耐えがたい。
その上、pandemic ときた日には…お陰で外に出る機会は減りつつある。そもそも、この暑さは何を着たら良いのか。
おしゃれ好きでも気候には勝てないのである。
もちろん、お仕事があれば外に行かざるを得ないが、何を身に付けて良いのかわからないし、マスクは必須だし、用事済ませたらとっとと帰宅するのがデフォルトになった。
以前であれば、ついでにここにも寄ってとか色々と思い付いたりもしたが、それすらない。
動いてせいぜい徒歩圏内、自分の場合、高円寺から荻窪の間で出来るだけ用事を済ませたいと思っている。
随分と昔、高円寺に住み始めた頃に友人から言われたセリフがある。
「最近、高円寺で服買って済ませてない?それって微妙だよね?」
一応、アパレルに勤めていたこともあり、見てくれには気を使っていたつもりだったが、忙しくて買い物に行く暇もなく、適当に高円寺で服を買って着回していた。
特に問題ないとは思っていたが、同業者の友人の指摘にちょっと怯んだ。
アパレルにおいてメジャーなブランドだったり、セレクトショップで服は買うものという、同調圧力が確かにあったことに今更ながら気付かされた。
あれから数十年、高円寺も変わったが自分も変わった。
不易流行は世の常であるように、変わらないものもあるが新しいものを知り受容することも必要なのは言うまでもない。
言うまでもないけど、自分のスタイルに合わないものまで受け入れる必要はない。
高円寺で探す古着が身の丈なら、それで何の問題もない。
ただ足るを知る。
大事なのはスタイル、おしゃれは自分を知ること。わかっちゃいるが、少欲知足、足るを知る道は殊の外難しい。
クローゼットからはみ出た服を眺め、まだまだだなと思う夏の終わりである…。

で、いつまでマスクが必要なの?
急に気温が35℃を超えてもこまる。
これを書いているのは6月後半だが、既に熱中症になりかけた。
35℃〜あるとも知らず、屋外に1時間程度いただけ…暑いとは思ったけど。
そんな状況であっても、すれ違う人は未だにマスク着用って…暑くないのか? 熱中症による救急搬送は増加しているらしいけど、それでもマスクする?予防対策として他人にうつさないことが思いやりのような風潮もあったけど、科学よりも情緒的判断が優先されることに違和感があった。
時代が退行しているような錯覚すら覚えた。最近、特別養護老人ホームを運営している方のお話を聞く機会があった。
その施設では面会時間の制限はしたけど、面会そのものの制限は当初からしていない。
その理由は人生の最後の時間に、会いたい人に会わせないのは理不尽だから。
そのかわり、窓を開け換気に気を配ったそうである。空気清浄機や換気扇に頼らず、常に空気が澱まない様に気を配ることでクラスターは防げたそうだ。全体主義に流されず、科学的エビデンスに基づき、考えを実践する重要性と覚悟を教えられた気がしている。
アイ・ウェイウェイによる中指を立てた絵柄のマスクは、自分の気分そのもの。
ついでにベッド・ミドラー「ローズ」の歌詞も思い出す。
“死ぬのを恐れては 生きることを学べない”。常識を疑え。
批判精神を忘れない為にマスクは額装して壁にかけた。一度たりとも着用しないまま。

高円寺といえば、サブカルと古着?
80 年代、高円寺の古着に注目が集まったきっかけは、伝説と言われている古着屋「ヌードトランプ」の存在があったと ZOOL のオーナーKaori さんに聞いたことがある。
1980 年代に自身が賃貸で借りていたマンションの一室を古着屋として開業。開店時間は夜 9 時から。週末には屋上でパーティと、今では考えられない自由な営業で、多くのファッション関係者や高円寺に集まるミュージシャンに人気となった。既存のスタイルにはない個性を求める人たちにとって、海外から輸入された古着はまさにうってつけだった。
「無抵抗に商業的なものを受け入れず、積極的に少数派のスタイルを追い求める。」
サブカルチャーについて社会学者のデビット・リースマンが 1950 年代に書き残した言葉はそのまま高円寺にも当てはまる。
時代は変わっても、そんなフロンティアスピリットが今も息づく高円寺。もしかすると古着屋のラックにあるのは自由と夢かもしれない。古着は若者だけのファッションではない。出来れば大人にも古着を楽しんで欲しい。何故ならあの頃の思い出が、ひっそりラックに掛かっているかもしれないから。

HARA JUNKO
ライター / コーディネーター
気が付いたら中央線沿線に住んで数十年。古着とアートと散歩を偏愛中?