杉並区の偏人|杉並時間コラム

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其の1:「杉並区お散歩の会」代表の長谷川まさやさんをご紹介します

歩く杉並一の歴史人になった長谷川さん!

きっかけは外交官だった時の海外赴任でした。

1回目の赴任前に外交官として日本の歴史や文化について研修を受けたそうです。

その後また香港に赴任するチャンスがあり、帰国後はインバウンド流行りで日本文化が注目されていました。

杉並区内を歩いていると民間信仰塔の説明板が目に入り、調べると1000年以上も遡る神社等の凄い史跡が身近に沢山あることに気が付き、さらに調べていくと縄文時代前からの史跡もある歴史ある街であることも分かりました。

12ページで紹介されている桃園川にはカワウソの巣があったとかないとか…。

また、高円寺駅南口を降りて6分程歩いたところに、1555年の戦国時代の頃に創設された宿鳳山高円寺というお寺があります。

江戸時代に第三代将軍徳川家光が鷹狩の際にここを訪れ、時の住職がさりげなくもてなしたことを気に入って度々訪れるようになり、お寺は広く知られるようになりました。そして家光はそれまで小沢村と呼ばれていたこの村の名前を「高円寺村」と改めさせました。

これが現在の高円寺の名前の由来であるなど、歴史人長谷川さんの頭の中にはたくさんの杉並の歴史が詰まっているんです。

その調べた知識を多くの人に伝えたいという思いが、現在の史跡を歩いて回るお散歩会の発足のきっかけになったそうです。

最初は長谷川さんを含む三人の参加で始まりましたが、今では長谷川さんの面白い視点での歴史話を聞きながら町を歩くこの会は人気殺到のようです。

其の2:15歳で30段の楽譜が書けてしまった天才!福田洋介さんをご紹介します

1975年東京杉並生まれの福田洋介さんは、小学生の頃から同級生と走り回るより家にあったパソコンをいじるのが好きで、特に音楽を作ることが楽しく、楽譜をかける人になりたいとまず楽譜を写すことから始めました。

全て独学で自分の夢をかなえた福田さんは、いわゆる“耳コピ”で音符にし、筆を動かして曲を作ることが出来ます。

高校の先生に「 この曲を部活でやりたいんだけど楽譜作って」と言われ、作ってしまったそうです。

「必要なことだったから訓練しているうちにできるようになった特殊技能」と語ってくれました。

福田さんは都立豊多摩高校を卒業後、吹奏楽・管弦楽・室内楽の作・編曲および指導・指揮に力を注ぎ、杉並区内の学生や一般人を対象にした吹奏楽活動を精力的に行ってきました。

さらに、すぎなみ彩楽ウインドシンフォニー音楽監督、中学生を対象にした吹奏楽ワークショップ指揮者も歴任。

荻窪音楽祭「みらい夢コンサート」にも出演しています。

そして、シエナ・ウインド・オーケストラ、SEKAI NOOWARI、自衛隊音楽隊などの作編曲も担当しています。

音楽に関わり37年、指揮者になって34年。

彼を代表する曲「さくらのうた」は、杉並区の皆さんが良く知る善福寺川緑地公園の桜並木、桜の姿に魅了される日本人の美意識をヒントに作曲したもの。

演奏は「すぎなみ彩楽ウインドシンフォニー」、指揮者はもちろん福田さん。

ぜひ一度聞いてみてください。

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