気は優しくて力持ちの 金太郎は何処へ|暗渠につまずいて(杉並時間コラム)

高円寺、阿佐ヶ谷には多くの暗渠がある。

これらはかつてこの地が純農地であった時代の名残と言える。

川だったり用水路だった場所は今では全て塞がれ、暗渠となった。

その暗渠にいまや絶滅の危機に瀕している「金太郎の車止め」が設置されている。

以前はもっと沢山見かけた気がするが今ではほとんど見かけなくなった。

落書きされたり、経年劣化で枠だけになっていたり、撤去されて別物と入れ替えられ、徐々にその姿は暗渠から消えている。

消えゆく金太郎を思うと、改めて何故、金太郎なのかが気になった。

そこで日本昔ばなしのデータベースで金太郎のお話をおさらいしてみた。

要約すると、足柄山に住む母子家庭の男の子が、人里離れた自然の中で育ち、動物たちと親しみ強く優しく成長、その身体能力を
見込んだ源頼光にスカウトされ京都へ。

武勇に秀で、成功をおさめる。後に頼光の四天王と言われた坂田金時の幼少期の物語とされている。

これってある種のジャパニーズドリームじゃないか?

設置されたのは高度成長期から安定成長期に移行、ベビーブームも終わりを告げた1975年頃のこと。

半世紀近い時が流れ、金太郎は暗渠から姿を消しつつある。

その間にバブルは弾け、経済は低迷、少子高齢化が進み、昨今の世界的パンデミックにより社会は変化を余儀なくされ
た。

昭和から平成、令和へ。

もはや金太郎の物語が教訓として通じる時代は終わったとも言えるかもしれない。

坂田金時(金太郎)も京都で活躍したのち、何処かに姿を消したとも伝えられている。

ジャパニーズドリームと共に金太郎も姿を消していくのだろうか?

「まさかりかついで熊にまたがる金太郎」は暗渠で変わりゆく時代を見つめてきた。

間違っても落書きとかしたらアカン! と思うのであった。
文/原 順子

目次

番外編

桃園川の変遷はある意味で杉並の歴史そのものと言える。

そこが川だった時代、水は人々の暮らしを支える重要な資源だった。

農地が市街地化するに従い、川には生活排水が流され汚染が進み暗渠化された。

かつての川は資源としての役目を失うと同時に水辺の景色も失われた。

それを憂いたのかどうかは定かではないが、杉並区は緑道整備にあたり、桃園川の記憶を残すため、川に生息した動物をモニュメントにして設置している。

今回はそんな動物と緑道沿いにある馬橋稲荷神社にまつわるお話である。

狐に願いを! 馬橋稲荷神社。

緑道沿いにある馬橋稲荷神社へ寄り道。神社裏手には塞がれた暗渠があり、参道の両脇には清流が流れ、せせらぎが桃園川の記憶を残している。

龍が巻きつく鳥居は珍しく、パワースポットとしても有名。

境内には水にまつわる神様が合祀されている。

まずはカエル達のお出迎え。

阿佐ヶ谷駅から高円寺方向に向かい高架下を歩くと見えてくる桃園川緑道の入り口。カエルの合唱がお出迎え。

馬橋稲荷の願掛け狐。

願い事を紙に書き、中に収めると狐がその願い事を神様に届けてくれるとか。

髭があるのが雄、無いのが雌。大事なお願いは狐が運んでくれるのだ。

関東大震災前の様子。

様々な川の生き物たちはかつて、桃園川に住んでいた。

動物のモニュメントは、この場所が水辺であり、この地が自然と農耕と共にあったことを今に伝えている。

今では想像もつかない風景が100 年前まであったのだ。*桃園川案内板より

かつてカワウソにより川は堰き止められた。

その昔、善福寺川から桃園川に水を引いていたが、度々カワウソが作った巣によって水路が塞がれ、洪水が起きた。

河童は日本の妖怪なのだ。

カワウソは歳を重ねると河童になるとも言われ、水神の化身でもあるらしい。

河童の河太郎とも呼ばれることを考えると、かつての水辺にモニュメントとして置かれても不思議はない。

ないけど目撃例はなさそう…。いつしか川は塞がれ暗渠となり、視界から水辺の風景は消え、人と自然の距離も変わってしまった。

きっと昔は河童もここで生きていたのかもしれない。

水に対する信仰という形で。歴史に思いを馳せながらの散歩も楽しいと河童が言っている…気がする。

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